空から見るホーチミン市 | Sky view Saigon

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ホーチミン市とサイゴン川

ベトナム南部はもともとチャンパ王国(チャム族)とカンボジア(クメール人)のエリアでした。
ベトナムは南下してそれを取り込んだのが17世紀。南部弁は少なからず、クメール語とチャム語の影響を受けています。
サイゴンがカンボジア領の頃はプレノコール(森の中の街)と呼ばれ、サイゴン川と森に囲まれた小さな漁村でした。
カンボジアにとっては、辺境の小さな村だったのでしょうが、ベトナムにとってもフランスにとっても南部の重要な拠点となっていきます。

フランスのベトナム植民地化は、南部から始まりました。
東南アジア進出を狙っていたフランスは、1859年にサイゴンを攻撃し、続いて1860年に開港宣言をします。
1862年には、とうとう南部ベトナムがフランスに割譲されて、フランス直轄植民地コーチシナとなります。

政庁の公共事業担当の部局、軍の工兵隊、民間開発会社といった、植民地都市の開発を担う主体がサイゴンを基盤に活動をはじめ、フランスがインドシナでの版図を広げるとともに、このシステムがハノイへと持ち込まれます。フランスはサイゴンをイギリスの植民地であるシンガポールをモデル都市としていたそうです。
マルセイユからは多くの商人がサイゴンに進出し、東南アジアにおける最初のフランス植民地都市として発展していきます。
豊かなサイゴン川は、商業港としてのサイゴンの発展に寄与してきました。

ベトナムが南北に分断されてからは、御存知の通り南ベトナムの首都としてアメリカ政府の傀儡政権の中心都市でありました。
ドイモイ政策が始まってからは急速な発展を遂げます。
1996年には、日本人建築家丹下健三が「サイゴンサウスプロジェクト」として、いまの7区周辺のマスタープランを行っています。
しかし、結果的にはあまりそのマスタープランが反映されていないように見えます。

いまは、多くの観光客を魅了するホーチミン市。
空から眺めると、ランドマーク81をはじめ、次々と高層ビルやマンションが乱立する新興都市が、大きいサイゴン川に囲まれているのがわかります。現代でも交易都市して2区にあるカトライ港がベトナム南部輸出入の重要な窓口となっています。

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空撮動画で観る ホーチミン市

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