チャンパ王国とベトナムの関係

1919

ベトナム人女性は、美人が多いと言われますが、あなたはどう思いますか?
「ハノイは美人が多い」
とか、
「メコンデルタは美人の産地」
だとか、聞いたことがある方もいると思います。
事実として、ハッキリといえることは、同じベトナム人でも地域によってかなり顔が違うということです。

ベトナム北部は、中国と接しているので中国人の流入も多く、肌も白いし、明らかに中国の血が入っているのを感じます。

一方で、ベトナム南部だと、肌が浅黒の女性がいます。ベトナム人というよりもマレーシアとかカンボジア系?と思うような顔です。
彼女たちはおそらくチャム族の血が流れています。

チャム族とは、19世紀の初めまで、ベトナム中部を支配していたチャンパ王国の人々です。
彼らは、オーストロネシア語族で、平たく言うとインドネシア人と同類のインド系の民族です。
日本人が一般的に東南アジアの人々というと彼らをイメージするはずです。

ベトナム人は妙に肌が白い人も多く、中国っぽいので東南アジアのイメージとは少し外れています。
ベトナム人はオーストロアジア語族です。

ベトナム人とチャム族

ベトナム人に追われたチャム族は、カンボジアやマレーシアに逃れたか、山岳地帯にて少数民族として暮らしています。
彼らがベトナム人に追われたのは19世紀の初めでした。
なんと、たった200年前までは、ベトナム南部はベトナム人の国ではなかったのです。
ダナン〜ファンティエットあたりまでは、チャンパ王国。
そこから南側のメコンデルタを含む地域はカンボジアが支配していました。
しかし、19世紀の後半にはフランスの侵攻に寄り、カンボジア・ラオス・ベトナムは、3国合わせてフランス領インドシナ半島となりますが、ベトナムが19世紀前半に切り取ったカンボジアの一部とチャンパ王国については、チャム族に返還されることなくベトナム人が住み続けました。

ベトナムは、悲惨なベトナム戦争イメージが強いですが、かつては侵略者でもありました。ベトナム戦争が終わった後ベトナムは、カンボジアに侵攻しています。
この事件で、各国のベトナムへの同情は薄れて、「ベトナムは危険な国家」という認識変わりました。

なお、チャンパ王国の遺跡は、「ミーソン聖域」が世界遺産として登録されています。

しかし、その後はベトナムに少しずつ領土を奪われて。
19世紀には消滅してしまいました。
さらにカンボジアに逃れたチャム族はポル・ポト派時代に大いに弾圧されて、悲惨な目にあっています。
チャンパという国は、もともとヒンドゥー教を進行する文化であったが、カンボジアに逃れた多くのチャム人はムスリム(イスラム教徒)と化しているようです。

一方でベトナムは、19世紀はじめに念願のベトナムの国土統一を果たしたにもかかわらず、半世紀後にはあっさりとフランスの侵攻を許してしまいました。

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